南側の狭い放りっぱなしだった庭にみかんがたわわになりました。
思わず「ごめんね」と云いたくなりました。カラスや犬にいじめられたでしょうか。
がんばっていた事に胸あつくなりました。
そして実に美味しいみかんとして家族を喜ばせてくれました。
一番小さな孫誕生日の日。
寒さの訪れの中、三平堂改装中につき箱を開けたら色々な物が出てきてびっくり!
歓声を上げたり涙を流したりしながら先ずは分類別にしている最中。
中国友好の為に芸術文化交流で一行が来日。
私共に? えっ?! 入りきれるかしら?で三平堂に縁台、緋(ひ)毛氈(もうせん)をかけて腰かけて頂く通訳の人が付いて来るにしても日中友好の少しでもお役に立ちたい思いでおります。
12月9日昭島市で開催して下さる平和の記念行事友好として行きます。
ありがたいことに皆さん集まって下さるようで嬉しい報せを友人が下さりました。
あまりに片し物をして動けなくなって、せっかくの「警察官友の会」に出席出来ず会長と約束していたのに申し訳なく何かでお返ししなくてはと昔、お弟子達と「火の用心!さっしゃりませー!」と金棒を引き鳴らし拍子木を持って歩いていたその拍子木を取り出し打ちながら大きな声で「火の用心!」と家の者を驚かせました。
11月10日「体をあけておいてください」林家一門一同から連絡があって当日ビックリ!!
36名仕事優先なのに、拍手で迎えてくれた。
勝浦から御主人が今朝釣り上げたと言う鯛をぷー子さんが持って来た。
卒寿と言われると偉い人が使う言葉のようで九十才90の光立てが嬉しい。山あり谷ありのお弟子さん達に囲まれて嬉しく幸せな一日。
横浜へ数十年振りで出かけ、街の様子がすっかり近代化。東京の下町から出かけた私は街の中をケーブルカーが通ってその下を車が通る、ビックリ!!
にぎわい座は定員ぎっしり。
たけ平くんが問いかけ昔話しをする。楽しかった一時間、結婚する迄で終了。
たけ平、なな子が気を使ってくれた。なれない寄席の高座。
お席亭さんがシウマイ弁当をわざわざ買ってきて下さった。お茶までも、恐縮の至り。
私の疎開先石川県穴水町、夫にとって学徒出陣特攻隊とし帰千葉県外房で終戦直前の一年、非常に苦しい時代に優しい指導をして下さった班長殿の穴水。私にとって戦後2カ月ほどで帰京、大人達の都合で呼び戻されすっかり変わり果てた焼け跡で「皆んななぜ死んだの?」と叫んで泣いていた小学6年生でも穴水の地の優しさをいっぱい受け「東京へ行くのをやめな!」と止めて下さって泣いて抱きしめてくれた友。大人達の事を思うとどうしても駄目、生きて行けなくなったら穴水がある。私にとって希望の地。焼け跡の寒さの中で一人ぼっちで泣きつかれ家があった証しの階段に腰掛け、夜更けの星を仰ぐと穴水があるの気持ちが湧きあがり元気になれました。私にとって生きる希望地でありました。夫初代三平も私も穴水は恩地であります。夫亡き後、三平堂落語会を開催して下さって町の皆様が応援して下さいました。美味しい蠣やナマコも頂きます。
今年はコロナで4年ぶりの盛大な会となりました。白山市の友人も松任市の人達にも声かけ下さって400人も参加してくださったとの事。
戦争のなきようにの歌もコーラス部を作って地元の皆さんで歌って会場中で大合唱。穴水より世界へ発信「ばばちゃまたちは伝えます」の歌が響いています。アメリカ人のジョンさんもピアノと歌を披露しました。
私は先約の横浜にぎわい座行きでメールを見つめました。
あくる日三平一門揃って海の幸を頂き、穴水総合病院、島中医院長様からのお土産も頂きました。
私がお届けし続けた「えびな文庫」の前で同行者一同のメールが届き嬉しい、嬉しい、優しさ温かさが伝わり思わず涙がこぼれました。
丈筆家
・1933年(昭和8年)10月6日 東京本所生まれ
・1945年(昭和20年)3月10日 東京大空襲にて肉親死別
・1952年(昭和27年)林家三平と結婚
・1980年(昭和55年)夫・林家三平の死後、30名の弟子を支え、マスコミでも活躍中
ニ男二女の母でもある
長男は林家正蔵 (落語家)、次男は林家三平 (落語家)、孫は林家たま平(落語家)
・2005年(平成17年)
上野公園内に慰霊碑 及び 平和の母子像 平成17年3月 悲願達成建立
・2006年(平成18年)10月~内閣府 元教育再生委員
・元日本チャリティ協会理事
・元東京都文化財委員
・東京都平和の日委員
・元東京動物園協会理事
・2006年(平成18年)~東京都 台東区「たいとう観光大使」
・2014年(平成26年)~石川県「石川県観光大使」
・石川県穴水町 名誉町民
・東京大空襲戦災資料 名誉顧問
・初代林家三平資料館 ねぎし三平堂 平成7年オープン
海老名香葉子 著書
『ことしの牡丹はよい牡丹』主婦と生活社1983年
『お母さんのゲンコツ』主婦と生活社1984年10月
『うしろの正面だあれ』金の星社1985年7月
『姑うた様と:下町は今日も青空』講談社1986年12月
『暮しの「かくし味」―母から娘へ贈る家事秘伝』二見書房1988年7月
『私が受けた愛のしつけ』海竜社1990年5月
『あした天気になあれ―ことばと暮らす』朝日新聞1990年11月
『海老名香葉子が選んだ 娘たちに伝えたい! 暮らしのびっくり知恵袋 ―おかみさんも驚いた読者の知恵! 衣・食・住の秘術800』
1991年7月『海老名香葉子の野菜大好き―わが家の味・下町の味』家の光協会
1992年4月『泣いて笑ってがんばって』家の光協会1988年9月
『家族の中の私―尽くす喜び尽くされる喜び』海竜社
1993年『さくらいろのハンカチ』絵・永田萌講談社1994年7月
『別冊家庭画報・海老名香葉子のうちのごはんがおいしいわ!』世界文化社1995年3月
『花いちもんめ―天までとどけ、私の気持ち』大和書房
1995年12月『お咲ちゃん―悲しい大地へ、46年目の旅』徳間書店
1997年8月『半分のさつまいも(絵・千葉督太郎)』くもん出版
1997年12月『毎日が楽しいあいうえお―クヨクヨを元気に換える発想術』小学館文庫
1999年3月『さみしくなんかなーいよ』ゴマブックス
2001年5月『海老のしっぽ』講談社文庫
2001年6月『玉ねぎコロリン 海老名香葉子のちょっといい話』共同通信社
2004年9月『ネーネ』くもん出版
2007年12月『おかみさん』文春新書2008年12月
『子供の世話になって死んでいきます―お金の貯蓄も大事でしょうが、情の貯蓄が尚更です』海竜社
2011年12月『母と昭和とわらべ唄』鳳書院2013年6月
『私たちの国に起きたこと』小学館新書2015年10月
『いつも笑顔で-あの戦争と母の言葉』絵:いわさきちひろ 新日本出版社
2017年6月『照る日曇る日―心のふるさと能登穴水と私』共著:穴水町北國新聞社
2017年8月『えくぼのかよちゃん』絵:林家しん平北國新聞社2020年4月
『人生起き上がりこぼし』海竜社2020年11月
映画
「うしろの正面だあれ」半咸3年 長編アニメーション映画
戦後60周 年記念作品「あした元気にな一れ~半分のさつまいも~」
ねぎし三平堂は、初代林家三平の笑いの精神を受け継いだ聖地。
林家三平は落語家の名門に生まれながら、落語の型を破り、高座からメディアへと大暴れした日本人の新しい笑いです。